最初の12日間

アンカレッジのダウンタウンにはユースホステルがあります。私は1999年8月、学生としてアラスカへ来た当初、最初の12日間はここに宿泊していました。UAA(アラスカ州立大学アンカレッジ校)の寮に入ることになっていたのだけど、寮は学期の直前にならないと入れないので、それまでの期間をユースホステルで過ごすことにしたのです。

日本を出る前に、あらかじめアンカレッジで一番安そうな宿を探しました。そこがユースホステルだったのです。貯めたお金が尽きたら日本に帰るしかなかった私は、なるべく出費を抑えたかったのです。

私がアンカレッジに到着してから入寮するまでの12日間、クラスの登録をしたり書類の手続きをしたりと、やることは沢山ありました。私はユースホステルから市バス(当時1回1ドル)を使ってUAAの総務課へ何度も足を運んだものです。

自分で選んだアラスカ行き。どうしてもアラスカに住みたくてやってきたアラスカ。私はこの先の生活が楽しみで仕方ありませんでした。でも同時にアラスカでの生活に対する不安、そして将来のことを考えると全くの白紙状態であることへの恐れ、そして誰も頼る事のできない土地へ一人でいるという寂しさもありました。

アラスカに来ることができて嬉しくてたまらないくせに、同時に寂しさと不安に気持ちが押しつぶされそうで、いろいろな思いが胸の中で交錯していました。特にこの先のことが真っ白のような真っ暗なような、この先の人生どうなるか分からない状態と言うのは、当時の私にとっては酸素ボンベもなく宇宙に放り出されたような感覚でした。ユースホステルに泊っていた当初は不安や心細さが強く、特に夜になると日本の友達や家族のことを思い出し、涙が出てきました。同じ部屋に泊っている人に気付かれないよう、毎夜毎夜、声を押し殺して一人こっそり泣いたものです。

そのユースホステルは2段ベッドがいくつか部屋に入れられていて、確か4人で部屋を共有していたように思います。世界中から旅の途中の若者が集まってきていました。外国からだけでなく、アメリカ国内からもバックパッカーが来ていました。

私と同室になった他州からのアメリカ人2人の女の子は人懐っこく、私にいろいろ話しかけてきてくれました。彼らはアラスカが大好きでデナリ国立公園へ行くとのこと。私がアラスカに住みたくて留学に来たと話したらやたら感心して「旅行が終わっても連絡を取り合おう!」と自宅の住所を手渡してくれました。

彼らがアンカレッジ滞在中は一緒にご飯を食べに行ったり観光をしたり、何日か行動を共にしました。親切にしてもらったのは良いのですが、私は英語の会話がよくできず、英語を聞く、話すと言うことだけでかなり労力を費やしていました。彼らの言ってることを分かったフリばかりして、英語を話すのも苦痛で、すぐに彼らと一緒にいるのが精神的負担になってきました。一人になる口実を作ってなるべく別行動を取っていたのを覚えています。

そんな親切なアメリカ人女の子2人もデナリへ出発し、私の部屋にはまた別に旅行者が入ってきました。2日もすると、また違う人が同室になります。そんな感じで、常に新しい人と「Hi. How are you? My name is XXX」と言う自己紹介の会話をするのです。英語の練習になっているのは分かっていても、繰り返される決まりきった会話と入れ替わり立ちかわりの他人との共同生活に私は疲れきり、ユース暮らしを終えて入寮するのが待ち遠しかったです。

そんな訳で、ユースホステルは私のアラスカ留学生活の出発点になりました。

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  ● デナリ国立公園でマウンテンゴートの群れを見る ●
デナリは自分の足でハイキングすると良さが何倍にも増します。
私は両親がアラスカへ来たときに
モーターホーム(キャンピングカー)を レンタルしてデナリへ行きました。
デナリ国立公園内で3泊とゆっくりコースだったので 沢山ハイキングができて、両親も大満足でした。
2004年6月撮影